新刊「バルト三国のキッチンから」発売までの軌跡

新刊「バルト三国のキッチンから」発売までの軌跡

★長文ですので適宜読み飛ばしてくださいね!苦笑

バルトの森を始めたきっかけ
エストニア料理屋さんという名義で活動を始めていたら「ラトビアは?」「リトアニアは?」というご質問をいただくことが多くなりました。確かに「バルト三国」と言われるこの3カ国は一体それぞれがどんな国かわからない人が多いということも人々の質問から納得できるものでした。
コロナ禍に突入し、調査に行くにも国外に出入りが難しい状況の中、Web会議システムを使い現地の人々にインタビューを行い、リアルなバルト三国を人々を通して知っていくサイト「バルトの森」を始めたのでした。
初めのうちはコンテンツも揃っていなかったこともあり「バルトの森」という得体の知れないサイト構築初期に、取材協力をいただいた皆様には感謝するより他ありませんでした。

2022年にはコロナ禍に加え、さらに追い討ちをかけるかのようにロシアによるウクライナ戦争が勃発し、我々のような海外の情報が欲しい人々にとってもさらなる受難でした。

2022年の正月に、夏にはバルト三国に行こうと決めていたために、1月中にトルコ経由リトアニアのヴィリニュス行きの航空券を買っていたのでした。
予定通りに6月11日に日本を出発し、リトアニア、ラトビア、エストニアと取材を続け、8月末にフィンランドの友人宅を最後に日本に帰国したのです。実に75日間という長い旅の終焉に待ち受けるPCR検査というものをラッキーなことに陰性で乗り越え、無事帰国の途についたのでした。

特に出版のあてもなく、公開するものとすれば「バルトの森」webサイト、または自費出版という選択肢しか持っていませんでした。75日間の旅の記録をどこに???
現地の人々がたくさんの協力をしてくださったその気持ちに応えるためにも、できるだけ多くの方が目にしてもらえる方法といえば、やはり商業出版でした。

日本におけるバルト三国のマーケット
エストニア料理本の出版の際にもさまざまなアプローチをしたのですが、「ニッチすぎる(苦笑)」という理由でどこも販売してくれる場所はなく、自費出版に踏み切ったという経験もありました。今回はエストニア、ラトビア、リトアニアという3カ国の内容を盛り込んだ本だったので、市場としては大きくはないものの、以前よりも大きな市場を狙えると考え、企画書を用意し万全の体制で出版会社へアプローチする準備をしていました。
しかし、コネクションも商業出版経験がない私に、企画書を見てもらうほど悠長な出版社は皆無です。たとえお友達や知り合いに協力いただいたとしても、先方に「ビビッ」と思ってもらうということは奇跡に近いことなのです。いくつか企画を紹介するチャンスはありましたが、芳しい回答をいただくことは「当たり前のように」ありませんでした。ほぼ絶望感を抱えながらも、現地で取材した情報は多くの人にとってもきっと役に立つであろうと思っていました。そしてバルト三国関係の類書はなく、自分が読んでみたい本を作ろうという思いが強くなりました。

残された手段とその可能性
コネも方法もない私が唯一できることは「ブログ」でした。ブログでこんな取材をしてきたという話をざっくり書き、誰かこの話に興味はないだろうかという内容を書きました。こちらがそのブログ本文です。待てど暮らせど反応はなく、忙しいことにかまけて、日頃からコンスタントに更新していないブログ管理者である己の怠慢を憂いていました。
と、数日経ちとある友人から「もしかしたら、この内容は産業編集センターさんが販売している出版物と非常に近いと思う」と言ってくださる方が現れました。かつ、その方が以前コンタクトを取っていたということで、私のことをご紹介くださるとのこと。私にとってまさに「神」のような人が現れたのです。なんと、即日に近い早いタイミングで「お話を聴きたい」というご連絡をいただいたわけです。幾度となく企画が通らないことを経験しているので、中間に紹介してくださる方がいても、ほとんど実現の可能性は薄いという期待値はかなり低いところに位置していました。ですから、話を聴いてくれる奇特な編集さんがいるのだなという程度の期待値でした。ただ、この段階すらできなかった私ですから、当然ありがたいわけです。

10月の初めに編集さんにお会いする機会をいただき、そこで力強い反応をいただいたことを覚えています。必ずこの企画通しますというほどの勢いだったような記憶です。
サラリーマンを何年もやっていましたが、社員としてそこまで言い切れるというこの方は、これまでのお仕事の実績や社内での影響力、コミュニケーション能力など能力が優れている編集さんだということはその言動で感じられました。この方のためにも充実させた内容の書籍を作らねばならないという感覚に陥りました。
もう乗りかかった船は木造ではなく、しっかりとした頑丈な鉄でできた船のような気がしていました。2022年11月初旬に幾つかの社内会議を経て、出版確定のご連絡をいただいたのでした。ここまでのスピードは信じられないほど早く、かつ丁寧迅速に進みました。自分の実力などはなく、幸運としか言いようがありませんでした。

出版が決まる
出版すると決まった時、すでに2023年6月に出版予定ということとわかっていたのを記憶しています。急展開に脳がついて行かない状況ではありましたが、「ああ、これで協力してくれた人たちに何がしかの形としてお礼ができる」と、ほっとしたのが最も大きい感想でした。
私の取材はすでに私だけのものではなくなっていました。そして同時に「発売日までは死んではいけない。」大袈裟ですが、我が子を産み落とすような気持ちになったのでした。

実はすぐ忘れる体質なので、記憶が濃いうちの2022年帰国後の9月から、すぐに75日間に起こったことを場所ごとにエピソードを書き綴っていました。ある程度は溜まっていたエピソードがあったので、納期を守る上で役立ちました。(とはいえ、私の文章力のなさや、本の全体的なテーマなどは書いた時とは変化していたのでかなり悩みながら書き直しもありました)

この後は、さまざまな本執筆のエピソードがありますが、なんとか担当の編集の方の力強い伴走のおかげで販売まで辿り着けました。今回の出版において、実にたくさんのみなさんの協力があったことを再度ここに強調したいと思います。この中の誰一人が欠けても、本ができなかったんだという気にもなります。

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大事なこと
そして一番大事なことは、「実現したいことは、心に留めずに発する」ことです。誰かに「一緒にxxxをしませんか?」と言われることを待っている方がいたとしたら、自ら声に出した方が良いと私の経験から言えます。浅ましいと思うかも知れませんが黙っていて後悔するなら、やってみて失敗するほうがマシだなと痛感します。

キーパーソン
上記のエピソードに登場する「ブログを読んで、産業編集センターの編集さんと繋いでくれた友人」は、とみこはんです。
とみこはんは、消しゴムはんこで活躍されているイラストレーターさんです。この方が私のブログに目を通してくれなかったら、私は今も本を作れずに路頭に迷っていたかもしれません。さらに、とみこはんを以前紹介してくれたのは豆腐マイスターでお馴染みの工藤詩織さんでした。レストランで工藤さんが監修したメニューが出るということで、気の知れた仲間と一緒に食べようと集まったら当の本人が体調不良で欠席というすごい会がとみこはんと友達になったきっかけでした。

長々とここまで読んでくださった方、ありがとうございます。

そして、とみこはんの話には続きがあります。
出版が決まったことを2人で喜ぶ中、本ができた暁には「バルト三国をテーマとしたオリジナルの手ぬぐいを作ろう」という話をしていました。とみこはんのほっこりかわいいデザインに、東京の伝統工芸品として指定されている注染の技術を用いた手ぬぐいを「バルトの森 x とみこはん」コラボレーベルで作成しました。オンラインサイトはこちらにございます。


手ぬぐいは、日頃から愛用しており、特にライ麦パンを作る時の発酵、蒸らしの段階で手ぬぐいを使っています。「バルト三国の手ぬぐいでライ麦パンを作る」これは、私にとって夢のような光景です。お皿も手ぬぐいで拭いたり、ハイキングや登山、旅のタオルとしても携帯します。そして、何よりもプレゼントやお土産にも軽くてコンパクトというのも重宝しています。
日本の伝統技術である注染が、バルト三国の皆様はじめ海外でも知ってもらえたらという気持ちも込めて作りました。手作りですので、ロットごとに変化する色や、色落ちもまた味として楽しんでいただけるようにしています。

11月11日(土)にとみこはんとマイはんこを作るワークショップを開催します。バルト三国のランチも付いています。午前の部午後の部それぞれございます。ぜひご興味ある方はこのチャンスにご参加ください。