ソ連崩壊・エストニアの変化 EVP(エーベーペー)

ソ連崩壊・エストニアの変化 EVP(エーベーペー)

エストニア民営化庁の発足
ソビエト連邦が崩壊してから、一般市民の生活もかなり変わりました。
エストニアの経済科学者は、資本主義が重要だと考えていたため、いち早く、エストニア民営化庁を発足させました。

EVP(エーベーペー)発行
エストニア民営化庁は、EVP(エーベーペー)という株のようなものを、国民に発行しました。支給された国民は、このEVPを使いソ連政府の所有物をこれと交換することができました。交換することができる有効期限は10年間でした。(2006年まで)
ソ連時代に働いた期間が基準になり、それに見合ったEVPをもらえることになりました。
EVPは2つの使い方がありました。自分のアパートにするか、または民営化した会社の株にする方法がありました。
1996年当時、18歳の人は1000EVPが支給されました。それより若い人は支給対象外でした。侍のご両親は、その20倍〜30倍程のEVPを支給されました。これまで住んでいたアパートと畑に取り替えました。侍はその1000EVPでタリンのとある会社の株を買いましたが、翌年パソコンが欲しくなり、株を売ったそうです。今も株を持っていたらかなりの金額になっていたと後悔していました。
1939年以前(ソ連支配よりも以前)に所有していた家や財産は全て元の所有者、またはその相続人に戻ることになりましたが、なんらかの理由で、その家や財産が戻せない場合(遠くに住んでいるなど)それ相当のEVPを支給されました。

ソ連スタイルのアパート
侍のご両親が住んでいるアパートは、いまでも彼が3才だった頃から変わらない場所にあります。
ソ連時代に建てられたアパートは、エストニア人から見たら「これがソ連時代のアパートだよ」と一目瞭然のようです。私が見た限りでは、日本の官舎や、社宅のようなシンプルな感じのデザインが、いわゆるソ連時代のアパートといった感じです。写真はソ連時代に建設されたアパートです。

ラトビア、リトアニアの民営化
エストニアはラトビア、リトアニアと比べて民営化に対する行動がとても早かったので、ソ連が崩壊するとすぐに開始されました。
ラトビア、リトアニアは当初はそれほど急いで行う予定はなかったようです。しかし、エストニアの民営化の事例を見て、1年後から民営化に取り掛かりました。



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